ベルリンならではの雑然とはしているが活気ある景観がもたらされました。
先行していたパリ、ロンドン、ウィーンと比較したとき、国家施設の巨大さは、明らかに他の都市を圧倒します。
19世紀にありながら、他国とは比較にならぬほど強力だった中央集権体制が誇大妄想を惹起する都市空間をもたらしたのです。
ウンター・デン・リンデンの通りを歩くとき、わたしでさえ気分の高揚を感じるのですから・・・
当時のベルリン市民がそこに誇りを抱かなかったはずがありません。
ペルガモン博物館の膨大なコレクションを前にしたとき、ドイツ人なら昇り行く国威に胸を熱くしたでしょう。
それは、パリなどの文化都市にやっとのことで追いついた遅咲きの19世紀都市の威圧的な姿でした。
イタリア、フランスに対して、ドイツの文化的な発展はどうしても遅れを取りがちでした。
19世紀初めに、カール・マリア・フォン・ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」(1821年初演)が、誇るべき文化的・風土的な土壌としてドイツ全土を覆う「森」を提示しました。